どうして「まろ眉」? ~平安時代のメイク事情~
おでこにちょこっと描く
可愛らしい「まろ眉」
平安時代の貴族がやってるイメージで
ドラマやアニメにもよく出てきますよね!
公家の一人称が
「まろ(麿)は~」という印象なので
まろ眉と呼ばれていますが
正式名称は「引き眉」、
「殿上(てんじょう)眉」といいます!
現代では
まろ眉をしてる人はあまりいませんが…
どうして平安時代の貴族たちは
まろ眉をしたのでしょうか?
まろ眉になった経緯は
まず平安時代の室内は薄暗かったので
顔を白粉で白く塗って美しく見せていました!
でも、
顔を白く塗ると眉の黒さが浮いちゃう・・・
なので、眉を剃り落とす!
眉がないと表情が読みにくくなるのですが
この「無表情な雰囲気」が逆に貴族で人気に♪
今の感覚で言うと
「クールビューティーがステキ!」
という感じでしょうか?
さすがに眉なしは不自然なので
眉墨で眉を書き直していたのですが
眉があった場所よりも
少し高い位置に描くことで
表情が変わっても眉が動かず
常に無表情な雰囲気になれたので
表情や感情を見せないメイクが流行ったそうです^^
ちなみに殿上眉と言われるようになったのは
殿上(宮中・紫宸殿)に参内できる高貴な方が
この眉を常にしていたから!
眉を描く位置によって時代が違うらしくて
平安時代は元々あった眉よりも
少し高めくらいなのですが
※Wikipediaより源氏物語絵巻の画像を参照
室町時代以降の女性の肖像画を見ると
ほぼ生え際くらい高い位置に!
※Wikipediaよりお市の方の肖像画を参照
江戸時代には
眉をほぼ描かないメイクも流行っていましたが
西洋の文化が入ってきて
引眉の文化はなくなってしまいました。
平安時代のまろ眉に
そんな意味があったなんて!
体験された姫様も驚きの
平安時代のメイク事情でした^^
※まろ眉メイクは現在はやってません。