和歌に込められた想い 清原元輔「契りきな…」
清少納言の父・清原元輔も
平安時代の有名な歌人
村上天皇(951年頃)の命により
万葉集などの文献を読解、編集する
「和歌所」という役所が作られ、
漢文ができるのは当然、
和歌が上手く、
選定できる能力がある歌人を集めたそうです!
清原元輔は和歌所に呼ばれた一人!
和歌所に集められた歌人を
「梨壺の五人」と呼んだそうですよ^^
5人しか選ばれなかったようで
清少納言のお父さんは和歌の名手で有名でした♪
「契りきな かたみに袖をしぼりつつ
末の松山 波こさじとは」

清原元輔が詠んだ和歌は
永遠の愛を誓ったのに
女性の方が心変わりしてしまったというもの!
失恋の和歌かなぁと予想しましたが
「末の松山」や「波」について
文献をいろいろ調べて
やっと意味が分かりました^^
頭の回転が早く、面白い人だったそうで
この“ひねり”のきいた和歌も
天才がゆえに詠めたのだなぁと思いました!
※詳しくは下記の文献をご覧ください。
参考文献:ちょっと差がつく『百人一首講座』